糖尿病にまつわる四方山話‐糖尿病教室|糖尿病 食事療法 治療 京大病院 栄養内科





糖尿病教室

■その1:糖尿病、いまや社会問題
我が国では、この40年間に糖尿病患者は実に50倍に増加し、現在の推定患者数は約700万人、 40才以上ではなんと10人に1人が糖尿病と考えられ、21世紀には患者数が1000万を越えると予測されています。 糖尿病合併症のために失明する人が年間約4000人、新たに人工透析をうけるはめになる人が年間約8000人と失明や透析導入の原因の第一位が糖尿病なのです。
糖尿病の合併症が進んで失明や人工透析という事態になると個人の生活や社会活動は極めて大きな制約をうけ、 医療費も膨大なものになってしまいます。糖尿病患者数の増大とともに、 糖尿病にかかる医療費も今や2兆円に近づこうとしています。

■その2:飢餓と人類
人類がこの世に誕生してから440万年、ネアンデルタール人が出現してからでも約10万年、 その間人類は常に飢えと戦ってきました。 そのため、ヒトの体はできるだけエネルギーを蓄える必要に迫られていました。
日本では弥生時代に稲作が始まりましたが、その後も度々飢饉におそわれました。 明治時代以降、生活スタイルも随分変わりましたが、多くの人たちは十分食べものを口にすることが出来ませんでした。 現在のように自由に食べものが手に入り、好きなだけ食べられるようになったのは昭和時代も半ば、僅か40年前のことです。
それからあっという間に飽食の時代に突入したのです。食べ物の中身も変わりました。 昭和20年代には穀類(ごはんやイモなど)を1日500gも食べていたものが、今では280gと激減し、脂肪は18gから60gと3倍に増えています。世間では食生活が欧米化したといっていますが、 これは正しくありません。欧米の人達は脂肪を100gとっている人が多く、正確には半欧米化です。肥満の頻度や程度も日本人は欧米人にくらべて明らかに軽度です。
にもかかわらず糖尿病患者の数が激増しているのは、ライフスタイル、特に食生活の急激な変化が、長年培ってきた民族の体質にとってマイナスに作用しているからと考えられます。

■その3:糖尿病の歴史
糖尿病についての記述は紀元前15世紀にエジプトのパピルスにすでに現れます。 その後現在のトルコ領パドチアに住んでいたアルテウスという人が紀元2世紀頃に「ディアベテスは不思議な病気で、肉や手足が尿の中に溶けだしてしまう。 患者は絶えず水を作り水道の口から流れでるほどであり、病状がそろうと死も早い」と糖尿病が重症になったときの状況を書き記していますが、このころから糖尿病の症状はかなり正確に把握されていたようです。 ちなみにディアベテスは絶えまなく水が流れ出るという様な意味です。
その後18世紀になって尿中に糖が増えていることが証明され、メリトス(はちみつ)を古来のディアベテスに付け ディアベテス・メリトス(糖尿病はその日本語訳)と名付けられ、 多尿を来す別の病気である尿崩症と区別されるようになりました。
一方、東洋では紀元前10世紀頃インドでススルタ大医典に糖尿病らしい症状が記述されています。代表的な著作「素問」「霊枢」、「金匱方論」には糖尿病らしい症状として "消渇"と"多尿"が記されています。 のどが乾く、乾くから皮膚や粘膜が乾燥する、乾燥するから水をたくさん飲んで多尿となる。さらに渇だけでなく病気に飢餓を伴いよく食べるが、食べても痩せるということも書かれています。
糖尿病の大切な所見である尿糖については西洋よりもはるかに早く外台秘要(752)にすでに記述されており、インポテンスなどについての記載も現れます。 「千金方」(65)には"腎虚"という言葉がみられます。のどが乾くが小便がでにくく、足にむくみがでるということなどは今の糖尿病による腎臓の合併症と解釈出来るかも知れません。

■その4:道長は糖尿病だった
日本では藤原道長が記録に残る糖尿病患者の第一号と言われています。「この世をば 我が世と思へ・・・」と栄華を極め飽食をつくしたであろう事を想像すれば、道長が糖尿病であった事に何の不思議もありません。 ちなみに、「四条流包丁術」の四条家に残る記録では、平安時代の貴族は相当に完成された美食を楽しんでいたとのことです。
道長は摂政の地位についた頃から「日夜を問わず水を飲み、口は乾いて力無し、但し食が減ぜず」と書き残されています。さらにその後眼が見えにくくなったとの記載があり、 糖尿病の眼の合併症によるものかも知れません。
当時糖尿病は飲水病とも呼ばれ、平安時代の貴族には飲水病が多かったと伝えられています。 道長の伯父伊尹(いただれ)長兄道隆、甥の伊周(これちか)らも飲水病で亡くなったそうですから、 道長の家系は糖尿病の素因があったのでしょう。
江戸中期の香川修徳は「一本堂行全医言」の中で糖尿病について以下のように記述しています。
・・・ 胃が乾燥するためいくら飲んでも乾きが止まらず、いくら食べても飢餓がつづく、しかも摂取した飲食物は身体の栄養にならない
・・・ 小便多く尿は白っぽく甘味がする  ・・・ 一度この病気にかかると治癒する人は100人中2,3人である ・・・
さらにできものができやすく、眼症状がある、インポテンスになりやすいなど合併症についても記述されており、現代の医学に照らしても、かなり正確に糖尿病の症状が把握されていたようです。
明治時代に入ると糖尿病は蜜尿病といわれ、尿糖の検査も行われるようになりました。さらに治療法として、でんぷん、砂糖を禁止し、青野菜の摂取などがあげられています。
これ以降、世界では糖尿病が膵臓の病気であること、さらにそこで作られる血糖を下げる物質の不足によることなどが明らかにされ、 これはインスリンの発見につながり、糖尿病に対する考え方は大きな変革を遂げることになりました。インスリンの注射やそれに引き続く飲み薬の開発は糖尿病の治療に革命を引き起こし、 多くの患者さんが救われることになったのです。



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